前日に、残っていた坐忘(ざぼう)を1リットルのペットボトルに入れて、6:4に割り水して冷蔵庫に入れておきました。
これを氷が入ったグラスに注いで、水割りとして飲んでみました。するとビックリです。割り水する前の元の芋の香りは、そのままに、すごくまろやかになります。その場で水割りにした時には、香りもやや和らいだように思いました。
割り水したものは燗をしてお湯割りとして飲むこともできます。
割り水したものを1ヶ月くらい冷蔵庫において馴染ませることもあるようです。
飲みやすくてスイスイと飲めてしまいます。割り水した焼酎はあっという間になくなってしまいました。
半分くらい飲んでから写真を撮るのを忘れていて、あわてて写真を撮りました。
そうそう、どうせ飲むならと焼酎用の切子グラス買ってきました。
焼酎は13〜14世紀頃には、すでに中国大陸や南海諸国で製造されていたようです。わが国への焼酎の伝来については、
14世紀頃わが国をはじめ、明国(中国)、朝鮮、南海諸国などとの海上貿易の拠点となっていた琉球(現在の沖縄県)から、いろいろな東洋の蒸留酒(焼酎)がもたらされたと考えられる琉球経路。
14世紀から15世紀にかけて朝鮮半島や中国大陸沿岸、さらには南洋にいたる広範囲な海上に進出していた海賊、いわゆる倭寇(わこう)が、海上取引品の一つとして焼酎を含む外来酒をわが国に運んだと考えられる南海諸国経路。
15世紀にはわが国は朝鮮と活発に交易が行われていましたので、交易品の中には当然酒類も含まれており、朝鮮産の焼酎である高麗酒(こうらいしゅ)も壱岐、対馬を経てわが国に入ってきたと考えられる朝鮮半島経路。
という三つの経路が有力であるとされています。
では、日本で最初に焼酎が作られたのはどこなのでしょうか?
泡盛を焼酎に含んで考えると、沖縄で泡盛が作られているのが一番古いように個人的には思いますが、焼酎としてはどうなんでしょう。と思って調べてみたんですが、よくわかりません。
話は変わって、鹿児島県大口市というところに郡山八幡神社というとても古い神社があるそうです。実は、この神社を改築したときに、450年ほど前の大工さんたちが神社の修理をした際に「施工主が焼酎も飲ませてくれない」という内容の落書きをした木片が出てきたそうです。この焼酎という文字が現存する最古のものだそうです。
少なくとも450年前に「焼酎」があったんですね。この木片が見つかって以来、大口市がある伊佐地方は、鹿児島県の焼酎発祥の地として、また県内随一の寒冷ちであることも相俟って、焼酎のメッカとして知られているそうです。
この伊佐地方には、焼酎蔵が三つあって一つはあのプレミア焼酎の「伊佐美」を作っている甲斐商店、そして先日購入した「黒伊佐錦」の大口酒造協業組合、そして大山酒造が作っている「伊佐大泉」です。
この「伊佐大泉」は、前から買いたいと思い目をつけていた焼酎なのですが、売っているところが見つからず、先日ようやく見つけることができました。やはり人気のある焼酎なので、お一人様1本限りとなっていました。
なぜ、この焼酎に目をつけたかといいますと、各焼酎メーカー(蔵元)は数多くの銘柄を生産しています。多様化する顧客のニーズに応えるという点ではやむを得ないことなのでしょうが、そんな中、この大山酒造は「伊佐大泉」という単一銘柄のみしか生産していないのです。すなわち、この一品の完成度を高めることに心血を注いでいるわけです。こういう蔵元の作る焼酎が、非常に気になっていました。
最近、ストックばっかり増えちゃって、焼酎コレクター化している夢酎です。